玉前神社の伊藤神職にお話を伺うスペシャルコンテンツ(全五回)の今回は四回目となります。今回は神社参拝の際の心掛けなどについてお話を伺います。前回までの記事は下記リンクよりお進みください。
お作法は形ばかりでなく、気持ちが重要です。
ー先程、参拝者の最近の動向についてお話を伺った訳ですが、神社にお参りに行く際の心掛けのようなものはありますか?
心掛けという程、大層なものではありませんが、私自身としては最初は「手水舎での作法」「お参りの作法」さえ知っていれば、それで良いのではと思います。外国人の方や、年少者の方など、初めて(自分の意志で)神社に来られる方もいますしね。
大事なのはそれぞれの作法の意味を理解して、形にとらわれないことです。例えば、手水舎で両手を清めて、口をそそぐ等という行為は「禊(みそぎ)」という言葉にも繋がる心身の清浄化です。
古事記において、イザナギが亡き妻イザナミに会うため黄泉の国に行き、命からがら戻った際に「汚らわしい国へ行った。禊をしよう」と言って川で自らを清めたところから来ています。私たちで言えば、心身きれいになって神様に会いにいくとうことでしょう。
ーなるほど。私は子供の時分は飲水だと思っていました(笑)
飲料水ではなく、きれいにするための水ですね(笑)人間というものは知らず知らずのうちに罪や穢れをまとってしまうと言われています。ですから神様にお会いする時にはお清めが必要となります。
六月の晦日と大晦日に行われる大祓も同様の意味があります。こちらも古事記の中にその初見があったり、祝詞の中にも「祓い給え、清め給え」といった言葉や「禊祓い給え」といった言葉が使われているものもありますね。
そのように、お作法にはそれぞれ意味がありますので、ご自分の興味のあるところを抜き出して調べてみる事も良いと思います。
神様との接し方は日常の対人関係と一緒です。
ー意味や由来を知ると納得しますし、ちゃんと行いたい気持ちになりますね。
皆さんも外出して帰宅された際には、先ず手を洗ってうがいをしませんか?同様に、心もお清めをする必要があるのですね。 お作法なども最初のうちは間違えても良いのです。気持ちが大事だと思います。形は何度か神社に参拝にいけば自然と身につくものですから。こういったものは本来の意味を理解して行うことがとても大切です。
ーそう伺うと、日常生活の常識とあまり変わらない気がしますね。
その通りです。私たちは、家族や親しい友人以外の方と会う時は、身支度を整えてさっぱりとした格好で出かけると思うのですが、出来ればそのような感覚で良いと思います。必要以上に服装に気を遣う必要はありませんが、気持ちの上で襟を正すつもりで、日常生活の延長線上としてお考えになれば良いのではないでしょうか。
ー少し改まった気持ちであれば良いのですね。
はい。あまりハードルを上げてしまっても、逆に参拝しにくくなりますからね。大事なのは「気持ち」です。やはり「感謝」の気持ちを持つことですね。私たち神職も仕事の最初と最後には神様に「今日一日よろしくお願いします」「今日も無事に一日過ごすことができました」とお礼を申し上げ、一日の奉告を致します。
ーその辺りも人と人とのコミュニケーションと一緒ですね。
人間同士の関わり方と一緒だと思うのです。例えば、時間を作って何度も自分に会いに来てくれ、「いつも、ありがとうございます。お世話になっています」と言う方と、たまに顔を出して、開口一番「お願いがあるのですが」と言う方のどちらに「協力してあげたい」と思われますか?
時間や地理的な問題もありますので、頻繁に足を運ぶのも中々難しいこともありますが、そうであれば、神棚に手を合わすだけでも良いと思います。勿論、ご自宅近くに神社がございましたら、なるべく参拝に行かれることをお勧めいたします。
※聞き手:エモーションクリエイターズ 金子明彦(神社広報担当)
※次回はいよいよ最終回。今月予定されている上総十二社祭りについてお伺いいたします。
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